ワールドイズエレファント

  • 『群盲象を撫でる』という言葉の意味を多少履き違えて覚えていたことに最近気づく。
  • 一人一人は目が見えなくても、大勢の人間が象を撫でた感触を情報交換しあえば全体像も把握・共有できるようになる、みたいな解釈で、なんか「三人寄れば文殊の智恵」の類義語だと思ってました。
  • 演劇なんてものに携わっていると、一人のときの無力感には計り知れないものがあって、こんなに他人ありきの芸術ってそうそうないと思う。小説なら書き上げてしまえばそこで作家の仕事は終わりですが、演劇だとそうはいかない。アイデアやプロットを面白がってくれて、演じてみたいと思ってくれる役者が登場人物の数だけ必要だし、それをまとめあげる演出家も必要。さらに、そこに光を入れたい、音を当てたいと思ってくれる照明音響スタッフとか、美術/衣装/小道具/制作/映像/その他、数々の賛同者をまず味方につけないと戦うことすらできないのです。いや、実際はそうでもないケースも多々あるんですが、今は一旦現実から目を背けて願望だけ話します。ご都合主義。
  • 世界観って言葉があるように、世の中の観方って人それぞれだと思うのです。で、何らかの表現手段を持ってる人の表現には「その人にとって世界がどう見えているか」が否応なくにじみ出る。これ別に社会的な小難しい意味じゃなく、もっと些細かつ単純なところ、たとえば脚本を「ハッピーエンドにするかしないか」だったり、役者の声を「張り上げるかトーンを落とすか」だったり、照明を「赤くするか青くするか」だったり。その一人一人の世界観はどうしたって結局「一方向からしか世界を見てない」ことになるのだけど、何人もの人間が同じ世界を別々の方向から見ていれば、だいたい世界の輪郭くらいは推測できるようになるんじゃないかと。そうやって作ったフィクションの世界を、またお客さん一人一人が自分なりの「世界観」を頼りに解釈・解読して…
  • だから多分、「世界に意味なんてない」と思ってる人の作る作品は「世界には意味があるはずだ」と思ってる人には当然意味不明に映るんだけど、たとえばそんな他人の世界観を塗り変えてしまうほどの作品、「世界なんてどうでもいい」と思ってる人に「世界って素晴らしい!」と納得させる(逆もまた然り)ほどの力があるような作品を「傑作」と呼んだりするのでしょう。
  • …というのが、僕の(2009年5月9日時点での)世界観です。