初日の母は強し

ハイバイ 「おねがい放課後」
作・演出:岩井秀人

こまばアゴラ劇場

 さて、演劇には「初日の魔物」というものが棲んでいます。ほかにも「二日目のジンクス」「マチネの怪物」「休演日明けの虚無感」「楽日の暴走」などがあり、消去法でゆくなら100%何の心配もいらない日なんて存在しなくなってしまうのですが、なかでも特に出現率および危険度の高い魔物たち*1が棲んでる可能性のある初日にはできるだけ行かないように、今まではそうしてきました。
 でも、今回は初日に行かざるをえなかった。というか、初日に行けないなら行かないほうがいいや、って思うくらいに興味深いイベントが付随していたのです。
「アフタートーク・ゲスト:岩井秀人の母」
 なんらかの表現活動をしている人間にとって、親、というのは最も作品に理解を示してほしい存在であり、同時に最も作品を観られたくない存在でもある、と思うのです。たとえ疚しいものなど無かったとしても勝手に部屋に入ってこられる事自体が嫌で嫌で仕方なかった思春期の延長線上として、自分の頭の中、考えてること、つまり作品を、覗かれたくない。覗かれたくないけど、でもわかってほしい、そんな矛盾した感覚。
 ましてや『母の言葉』というものは、ときには凶悪犯をも平伏させ号泣させるほどの威力を持つことさえあるもの。そんなわけで『母の言葉』と『劇作家の言葉』どちらが勝つのか、みたいな好カードを期待していたら、さらにその上をゆく『臨床心理士の母』と『元ひきこもりで劇作家の息子』の対話、という貴重な空間に立ちあう。息子の作風の起源・息子自身も意識してない傾向みたいなものをさらりと掬い上げてしまうその手腕に感嘆しつつも、客席の誰よりもそれに感嘆している岩井さん本人を見ている僕ら観客、という複雑な構図の中、ただの(あくまで芝居本編のおまけとしての)アフタートークにしては深すぎる時間を過ごす。二日目以降にどんな影響を及ぼすものやら、とても気になります。

*1:客席に人が入ることで音が吸われてセリフが聞こえない、稽古であんなに面白かったはずのシーンが全く受けない、大仕掛けが作動しない、映像が出ない、小道具が間に合わず初日だけマイム、ほか多数。幸い今日は現れませんでした。