チケット代が3000円に満たない芝居はなぜ面白いのか?

  • 「自己嫌悪のできる人」が好きです。そう言ってしまうと非常に負のイメージがありますが、僕は「向上心のある人」とほぼ同じような意味で使っています。だったら何が違うのかっていうと、弱点・欠点・コンプレックスなど自覚症状を抱えているかどうか、が要点だと思うのです。「自分のここが嫌い、だから何とかしなければ」という後ろ向きの助走があればこそ、全速力で前に進むことができる。チョロQが走るのと原理はまったく同じです。changeしたい部分もないのにwe can changeと言ったって空しいだけ。改善すべき点を持っていない完璧人間ほどつまらないものはない、本気でそう思う。
  • だからこそ人は人のギャップに魅力を感じるのでしょう、『博識だけど地図が読めない』とか『美人だけど自動ドアによく挟まれる』『財務大臣だけど酒癖が悪い』、もっと極端な例でいうと『すごく嫌なやつなんだけど、塩かけたら死ぬ』とかね。人間に限った話じゃなくてもね。
  • みんながゴキブリを嫌いなのは何故かって、つきつめれば弱点がないからなんじゃないかと思うのです。身体能力高くて生命力にあふれて、統一感のあるシックな色使いで流線形で、あまつさえ空まで飛ぶ。夢の遊眠社かおまえは、って思う。失言ですね。
  • たしかに、チケット代が5000円も8000円もするような安定した芝居は、当然それなりの予算を組んで、それなりのキャストを起用し、それなりの演出を施してあるのでしょう。でも僕は、同時にこうも思うのです「そんなのお金があればできて当たり前じゃないか」って。
  • ただのヒガミじゃないのかと言われれば7割方は黙り込まざるをえないのだけど、でも残りの3割は違うと言い切れる。何でも揃えられるからといって逆に可能性を見失っちゃいないか。予算がない=面白くできない、ではないのです。むしろ、それをカバーする「工夫」の面白さってのは演劇自体の面白さにも直結していて、予算がないとか本物の火が使えないとか宇宙人が登場する設定なのにCGが使えないとか、そういう具体的な「縛り」をどうやって乗り越えていくか、それもまた見所。そして実際、予算・知名度その他諸々の弱点を抱えた劇団ほど、その反動による「工夫」が巧みだったりするから油断がならないのです。欲しいおもちゃを全部買い与えてもらえた子の発想は、足りないものを埋め合わせながら遊んできた子の想像力には敵わない。