石灰で引いてよスタートライン


 新宿にてNichecraft企画展会議その他諸々。一人でうだうだ考えてたって煮詰まるだけだと、何も準備せず言いたい放題のブレインストーミングから何かが生まれることを期待して臨んだら、想像を遥かにしのぐカオスの荒野あらわる。ここから無限に近い取捨選択を迫られているのは他ならぬ僕自身なのですよね。個人で考えてたときには思いもよらなかったことですが、時間はかかれども話し合う以外に道はないのが集団創作。完全にワンマンプレイでいくならいいけど、そうもいかないし、どのみち俺そんな器じゃねえし未完の小鉢だし。
 誰しも出来ることと出来ないことがあるので、それを弁えながらも『出来ることだけを繋ぎあわせた結果なぜか出来ないはずのことが出来るようになってた』みたいなのが理想。というか目標。わかりやすいものに簡単に振り回されてはいけないし、わかりにくいものに無闇に憧れてもいけない。ポップなシュール、ってのが目指すべきバランスなのです。
 ところで、もはや現代において「シュール」と「シュルレアリスム」は似て非なるものなので、まずはシュールの意味を定義しなおす必要があると思うのですね。シュールで思い出したけど、たとえばシュールストレミングの缶を開けた瞬間に去来する様々な想い/具体的な悲鳴、「ぎゃー」だったり「うわっうわっうわっ」だったり「どっどどどうすんのこれ」だったり、そんなふうな「言葉にならなさ」をこそシュールと呼ぼう。今決めた。
 だとすれば、ポップなシュールを目指す僕らはさしずめ『ごはんがすすむシュールストレミング』か。それってハードル高すぎやしないか。