一秒前は闇

少年王者舘 「シフォン」
作:虎馬鯨/演出:天野天街

@下北沢ザ・スズナリ

 こういう言い方すると問題ありそうだけど、とか言いながらも結局言っちゃうんだけど、少年王者舘において脚本はあんまり意味がない。これはダンスやインスタレーションじゃないですよ、演劇ですよ、ということを説明あるいは証明するためには必要だけど、いざ出来上がったものを見てみると、ほとんど意味がない。『脚本はいまいちだけど演出に助けられてる』だとか、『脚本がいいから演出がダメでもそれなりに見れる』だとか、もうそんな次元の話じゃなくて、『天野演出の前には誰が書いた脚本だろうと全部一緒』という意味で意味がない。
 ループ、寸断、逆再生…ありとあらゆる方法で分解された脚本が、聞こえてきた言葉の意味を脳が理解するよりも速いスピードに乗っかって、結果的に台詞の中身はほとんど聞き取れなかったりするのですが、その雪崩のような言葉に巻きこまれて『なにもわからなく』なった中で突然降りてくる、主語のない『わかった』という感覚。芝居の内容がわかったというよりは、もっと大きな、自分が生まれてきた理由とか世界のしくみとか、なんかそういう、人間ごときに本来わかるはずのないものが『わかった』気がして、でもその感覚は一瞬で消えてしまって、終演後に劇場の外へ出された僕らはやっぱり何もわからない*1まま。
 『人生に正解はない』なんて言いますが、それは僕も信じて疑わないことではありますが、でもやっぱり少年王者舘を観ると思ってしまうのです。
 「天街さん本当は正解知ってるんじゃないの」と。

*1:見た夢を朝起きたら忘れている、というのと似てる。