そこに理屈は、あってもいいしなくてもいい。

Hula-Hooper 「静かなる演劇」
作・演出:菊川朝子

@渋谷Gallery LE DECO 4&5

 フラフーパーは過去に何度か見たことがあって、だから今度も、というのが見に行く理由の一つ。でも実際、チケット予約メール送信ボタンの前で二の足踏んでる僕の背中を直接押したのは、チラシの裏の下の端に小さく小さく走り書きされた、心強い決意表明の文章だったのです。

楽しくなければ意味がない。
悲しいことが少ない方がいい。
できるだけたくさん笑いたい。
難しいことはどうでもよくて、俺は今 演劇のことを考えたい。
皆は演劇のことなど考えないで見ればいいよ。

 「演劇のことを考えたい」人が作ったものだからといって必ずしも「演劇のことを考え」ながら見る必要はない、と、きっぱり言い切ってしまえる勇気と度胸。たとえどんなに高尚で難解で批評的で意義深いことをしてみせたところで、それが「楽しくなければ意味がない」。これは当たり前のようでいて、なかなか言えることじゃないと思う。さらに言ってしまうと、「演劇のことなど考えないで見」ていたはずの人に「難しいことは分からんけど演劇っていいよな」という、あほみたいにシンプルな感想を植えつける力。
 要するに、フラフーパーは(僕が見た過去2作品も含めて)自分たちの作品を面白がることに対して一切の嘘がないのです。「やりたいことをやるから、わかる人だけわかればいい」じゃなくて「やりたいことをやっている、ということを絶対にわからせてやる」という殺気まじりの表現が、狭い階段を役者も観客も入り乱れて4Fと5Fを行き来させる。愛しかない5Fと、演劇しかない4F。それを組み合わせた「演劇愛」の全貌は、2回以上観なければ絶対にわからない仕組み。
 終盤間近の4Fで不意に放たれた「演劇はここにある」という台詞は、本当に痺れるほど格好良かった。