猫が見た走馬灯

キレなかった14才りたーんず 「アントン、猫、クリ」
作・演出:篠田千明(快快)

こまばアゴラ劇場

 ひらがなを覚えたばかりの子供が電車の窓から見える文字を片っ端から読んでいくのは、あれは世界を創ろうとしているんじゃないでしょうか。「はじめに言葉ありき」と言うためにも、まずはじめに言葉が必要。
 だとすれば、その言葉さえあれば素舞台にも世界は描けるということです。目に映るもの手に触れたもの耳で聴いたもの鼻で嗅いだもの、それら膨大な情報を全部、インプットするやいなや口からアウトプットして築き上げていく前半。そんな濁流のような情報を濁流のまんま加速させ、脳の処理速度を追い抜いたあたりで客席にブワッと、開栓前に振りすぎたコーラのごとく撒き散らす後半。
 ほとんど文脈のある台詞は聞こえてこなかった(もちろん意図的なはず)のに、音響と映像と肉声で重なりまくった轟音が鳴り止んだ瞬間、アントンの身に何が起こったのか、言葉でも視覚でもなく空気だけで『悟れる』ようになっている自分に鳥肌が。第六感をむりやりこじ開けられたような感触でした。