家族以外立入禁止

ゴジゲン 「アメリカン家族」
作・演出:松居大悟

吉祥寺シアター

 何をやっても飽きっぽく長続きしない僕が、唯一30年近くも続けてこれたものといえば家族くらいで、それは「遺伝子」だとか「絆」だとかいった分かりやすいものじゃなくて、剥がしても剥がしてもひっついてくる道端のガムみたいな得体の知れない粘着力をもったものだと思うのです。極端な話、覚醒剤を使えば「人間であること」さえ簡単に辞められるこの世の中で、それでも「家族であること」だけは絶対に途中で投げ出せない。
 もしもこの作品が再演されることがあるなら僕は家族と一緒に観に行きたいと思ってしまったのですけど、それって異常だろうか。両親を自分より一列前に座らせて、後ろからリアクションを見ながら「家族である意味」を再確認したいと思ってしまうのは異常だろうか。
 とりあえず、明日からこちらも『家族』にまつわる話で小屋入りする僕にしてみれば、とんでもないライバルが現れてしまったというプレッシャーが募る。
 劇中で「家族」と呼ばれる人たちは、ひとり残らず被害者で、ひとり残らず加害者で、ひとり残らず真っ正直で、ひとり残らず最低で、そして誰が見ても明らかなほど歪んで傾いて亀裂の入ったマンションの一室に軟禁されていて、でもそれはフツーに親が子を子が親をサクッと刺したりしてしまう6時のニュース的世界の中じゃ全然健全なほう、というか前提条件みたいなものなんだと思う。程度の差こそあれ親に向かって、殺す気もないくせに死ねとか罵ったり無視を決め込んだりした経験のない人は少ないんじゃないか(統計取ったわけじゃないから、偏見ですけど)。で、多分それって「そこまでやっても両親は『両親』という役から降板しない」と安心しきっていたからこその甘えた行動だったんじゃないの、とか。
 終盤で宙を舞う衣類が、演劇の約束を放棄して壁や天井を突き抜けていった瞬間に鳥肌が立った。